ゼロアカ道場を終えて
こちらのブログではご無沙汰しております、雑賀です。
早いもので第五回関門から一週間がたちましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。敗退者としての区切りを付けるべく、最後の挨拶をということで今回のエントリです。
まずはじめに、1年間にわたるゼロアカ道場を通じて東さんや太田さん、そして第五回関門で特別審査員をして下さった筒井さんや村上さん、本当にありがとうございました。貴重な場を与えていただきましたこと、まずは御礼申し上げます。
そして何より、平日の夜だというのに当日会場に来て下さった方、ニコニコ動画を見ていてくださった方、ありがとうございました。もうちょっと場慣れしてちゃんと議論ができればよかったのですが……、機会があればいつかリベンジ、ということで。そして最後に、忘れてならないのが講談社BOXスタッフの方々。どれだけ感謝の言葉を述べても足りないくらいです。
とりあえず第五回敗退ということで、門下生としてのゼロアカ道場は今回で終わりを迎えたわけですが、この1年間、今までの自分では考えられなかった経験をたくさん積ませていただいたことだけは確かです。ただひとつ失ったものがあるとすれば、それは新幹線が憧れから日常へと降格してしまったことくらいでしょうか。
それにしても、ことに第四回関門以降のにぎわいっぷりは、こんな非日常な光景が永遠に続くんじゃないかという錯覚すら抱いてしまったくらいでした。ゼロアカ的永遠の夏休み。そんな無限ループも、それはそれで楽しくはあるかもしれませんが、あいにく私たちにそれは許されていない。だからこうして終わりが来る、これはこれで必然的なことです。
ゼロアカ道場を終えて、どうして1年もかけてゼロアカ道場を行ったのだろうかと自分なりに考えてみたのですが、考えつくとすればそれはおそらく継続力をみていたんじゃないかな、と。コンテスト形式に、自分のペースで書くことのできる人間ならごまんといる。だけど、文章を書くということは、ときに自分の好きなものを書いているというだけでは済まされないことがあるのでしょう。あらゆる要求に、限られた時間で、自分の最大限でもって応えるということ。少なくとも第三回関門以降、私が貫いたスタイルがそれです。教養が足りない、下地が弱いというビハインドはもとより、こうして敗退してしまった以上、その読みが正しいのかどうかはわかりませんが、ゼロアカ道場を無意味なものにしないために、私ができることは続けていくこと、そして関係し続けていくことだけだと思っています。もちろん、残っている三人のうち一人が第六回を勝ち抜いて、素晴らしい書籍を出版してくれるのは当然ですが(……ですよね、お三方?)。
なんにせよ大変なのは、続けていくことだそうです。そしてたぶん、覚悟です。一端休憩、とできる性分ならよかったのですが、あいにくそれもできそうにない。とりあえず私はこれからも「粛々と」書き続けていこうと思っています。
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なんだか感想文ちっくですね。本当はレポートでも書こうと思ったのですが、当日を思い出すとなんだか悔しいのでそれはなし。負けを振り返るのは、自分自身の中だけでいいのです! 納得して清算して、すっきりしてしまってはいけないのです。振り返るときというものは、懐古の不幸自慢だけでいいのですよ。
長くなってしまいましたが、それではみなさま、機会があればまたお会いしましょう。一番早いのは、春の文学フリマになるかと思います。よろしければ是非、会場に足をお運びください。2号の内容は、そうですね……くらえ! まいんどすくれいぱー……とか。まあ、そんな感じ。すいません、まだほとんど書いてないです。
過酷を極めたゼロアカ道場も残りあとひとつ、私もささやかな地方ウォッチャーとして応援していきたいと思います。どのような結末を迎えるのかが楽しみです。
とにもかくにも一年間、ありがとうございました!
批評というツール
一個下のエントリで雑賀さんが書いてくれていますが、12月1日付の日本経済新聞の夕刊に文学フリマの記事が載りました。どなたかが写真に撮ってくれていたので、リンクを貼っておきます。
こちら
左側の縦長の写真の、左から筑井・雑賀・井上ざもすきさん・藤田直哉さん・三ツ野陽介さんになっています。
ネット上に記事がないか探してみたのですが見つけられなかった……。
この記事を見て、私たちが思っている以上にゼロアカ道場は世間の注目を集めているようで、驚くと同時に、生半可な気持ちでやってはいけないのだ、という思いを新たにしました。
とりあえず、形而上学女郎館ustは、月1くらいのペースでやっていきたいと思っています。
雑賀と筑井に聞いてみたいことなどありましたら、メールやコメントなどいただければお答えしていこうと思います。
……
ところで、形而上学女郎館のustはラジオっぽい、と指摘してくださったかたがいらっしゃいましたが、それはそのはずで、過去のどっかのエントリで書いたような気もしますが、筑井は3年間ぐらい、とあるラジオ局でラジオDJの仕事をしていたことがあるのです。
構成やら流れの作り方がラジオっぽいのは、ラジオDJ時代に培ったテクニックなのです。
ちょっとだけ昔話をすると、中学・高校時代のわたしの将来の夢は「ラジオパーソナリティ」になることでした。オールナイトニッポンと、伊集院と、渋谷陽一と、山添まりと、伊藤政則が大好きでした(うわあ、お国が知れてしまう)。私にとってのラジオは、居心地はいいけれども均質化された進学女子校空間から、根拠のない紐帯と服従を要求する家族から、ほんの少しだけ外に出られるような、そんな気持ちにさせてくれるものでした。私の大好きだったラジオDJさんたちは、まいにち毎日、私の知らない新しい広い世界を教えてくれて、世の中の様々な事象に対してちょっと違ったものの見方や、常識をちょっとずらす方法を提示してくれた。そして、もしかしたら、「これはあたしにもできるんじゃないか!?」と夢を与えてくれたものだったのです。
しかしその後大学に入り、私はわたしの思いを伝えるために、より有効な手段である「人文科学」を手に入れました。「人文科学」というツールをつかうと、私はわたしの抱いていた違和感や絶望を、ほんのすこしでも言葉に載せやすくなりました。そしてそれは、しゃべることよりもずっと、私に向いていたみたいです。
私がラジオDJになるという夢をすっかりどうでもいいものにしてしまったのは、たぶんそんな理由なんだと思います。久しぶりにustでラジオみたいなことをやると、なんだか血が騒ぐけど、でも、今の私にとってのラジオはその程度のものです。
ひとつの夢を失った代わりに、私は言葉を、批評を、手に入れたのです。
私にとっての批評が、私が生きる武器になるのかどうか、今のわたしにはまだよく分からない。けれども、私にはこれがなくちゃいけないと思っていて、無いと死にそうになって、あるとそれだけで生きてて良かったと思えて、とにかく愛していて、それだけは、譲れない。
批評とは、世の中にあるさまざまな事象を、何らかの言葉に載せることによって少しでも見通しをよくすることだと私は考えています。それは、言葉にしてしまえばなんてことのないものでも、言葉に載せる難しさを知っているからこそ、私はその力を信じられるのです。
批評は人をくさすためでも、業界をつぶすためでも、誰かに好かれるためにも嫌われるためにもやるものじゃなくて、世の中の現象の見通しを良くする。ただ、それだけなのだと思います。その意味で、ラジオDJとは全然違うやり方になってしまったけれども、私のやりたいことはあの頃から、実はちっとも変わっていないのかもしれません。
にっぽんけいざいしんぶん
雑賀です。
ゼロアカの記事が載っているという、日本経済新聞夕刊(12月1日)を見てしまいました。……うわあ。どうしましょうね、これ。わーい、見てるー? ……すいません。新聞は毎日読んでいますが、新聞の中の人になったのはこれが初めてです。
それにしても、当日確かにあの熱狂の中にいたはずなのに、他人の文を介して読むと、まるで他人事のような気がするから不思議。こんな感覚が生じることから予測して、だからこそ、政治家の方々は毎日のように繰り返されるマスコミからのバッシングにも笑って耐えられるのかもしれない。そして、常にこう思っているのかもしれない。
「あなたとは違うんです」
……何が? どこが? 当然だよね。そもそも、同じだったら怖すぎる。傍から見て同じように見える人はごまんといるけれど、「あなた」と「わたし」はどうやったって決定的に違う存在。それゆえいつだって、「きみ」と「ぼく」はすれ違ってしまうのだから。
批評が能動化する
雑賀です。
日曜のustでもたくさんの人が遊びに来てくださり、本当にありがとうございました。第2回にもかかわらず、マイクに音がうまく入っていなかったり、途中で思いっきりお茶を飲んでたりしましたが、とにもかくにも空間を共有してくださった方がたくさんいたことに感謝です。ネクタイはまた日を改めて、きちんと披露する予定です。ちなみに日曜はピンクネクタイでした。たぶん画面から切れてましたけど。
IRCも横目にちらちらと頑張って見ていたのですが、ちゃんと反応し切れなくて残念です。IRCを見つつ、話も進行させる……、いつかそんな余裕ができるようになるとよいですね。精進していきたいと思っています。
IRCを読んでいて思ったことは、批評界隈が能動化している、ということです。以前の批評であれば、天才と位置づけられるような批評家が読者に対して天啓のごとき思想を展開する、それが一連のスタイルであったのではないでしょうか。しかし、今はそれだけで読者は満足しない。天才とはいえないけれど、感度が高く実行力のある人間が、読者の希望を取り込みながら自らの思想を展開するというスタイルに変わりつつある、そんな気がするのです。それがいわゆる批評家のキャラ化なのかもしれないし、祭りの正体であるということもできるでしょう。
ただ言えることは、読者はすでに一見受け手でありながらもはや受動的ではなく、能動的であるということ。かつて批評家が読者を操っていたという形は古くなり、読者が批評家を操るような時代が訪れつつあるというのかもしれません。
でも、私自身はこれが悪いことには思えなくて、むしろ、予想もつかない化学反応が起こるような気がして仕様がないのです。私は、その先が見てみたい。というわけで、ゼロアカの関門としてはこのブログは役目を終えたわけですが、あいにくブログを持っていない私は、これからもちょこちょこここに現れる予定です。たまには本気で固い批評を書くのもいいかと思っています。
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では最後に、『チョコてろ』に関して一言だけ。
筑井さんも仰っていた通り、ガチで批評と呼ぶにはこの本は弱いのかもしれません。でも、何もないとは言われたくない。軽くはあっても、薄くはないはずです。一読してお腹いっぱいになるようなものを私は書きませんし、書く気もありません。できることなら二度、三度。そして、あなたの批判で甘い「てろる」は完成する。一冊を送り出すというだけで、終了などはしないのです。
もしまだ付き合って下さる気があるのなら、『チョコてろ』にちりばめられた批評の欠片を、これからもここはてなで、まだまだ続くゼロアカで、そして着々と計画が進行している『チョコてろ2号』で拾い集めていって欲しいのです。これは私のわがままです。吐露するならば、力不足。一冊で全てを伝えきれなかった、筆力のなさを呪うべきなのは承知です。
だけど、アフターケアなら万全です。呆れ果てるまで展開し続けていく所存です。続いていく意志のないものに、価値を見出すことは不可能です。
そんなこんなで文学フリマを終えて二週間。狂乱を終え、日常に物足りなさを感じてしまっているあなたへ。
良くも悪くも「お祭り」はまだ、終わりません。
お礼ustについて
形而上学女郎館の筑井です。ちょっとお久しぶりです。
以前告知しました文学フリマお礼ustの告知です。
明日日曜日(23日)22時から30分程度を予定しています。(いつも告知がぎりぎりですみません)
今回のustは、ずばり『形而上学女郎館はなぜ最終批評神話に敗れたのか』というテーマで行います。
確かに最終批評神話も形而上学女郎館も、どちらも11月9日の文学フリマにおいて500部完売しましたし、第4次関門も通過しました。けれども、完売時間について、あるいは東浩紀点について大きく水をあけられたことは事実であり、この事実を私たちは真摯に受け止めねばならないと考えています。
このustは私筑井による最終批評神話に対する完敗宣言であり、同時に村上氏への挑戦状と位置づけています。それゆえ、最終批評神話ファンの方にも聞いていただけたなら、非常にうれしく思います。
それ以外にも、他チームの同人誌について感想を述べたり、また雑賀壱はなぜネクタイ女子なのか?という多くのはてなダイアラーたちの頭を悩ませた問いについて、雑賀ちゃんみずから語っていただこうと思います。
乞うご期待!
……
追記。
なんというミス。23日日曜日の22時からです。
誰か、突っ込んでよ…。
ありがとうございました
形而上学女郎館の筑井です。
文学フリマ、おつかれさまでした。ご購入いただいたかた、講談社のスタッフ様、東浩紀さん、『チョコレート・てろりすと』制作にご協力いただいたみなさま、本当にありがとうございました。どなたの力が欠けても、今回の形而上学女郎館のゼロアカ道場第4次関門通過はありませんでした。厚く御礼申し上げます。
ところでせっかく盛り上がった文学フリマなので、近いうちにお礼ustを行いたいと思います。
(ustとは…生放送のウェブテレビみたいなものです)
たぶん来週半ばくらいになると思います。できればリアルタイムで質問など受けられればよいのですが、ちくいの技術的限界により、IRC(チャット)を見ながらしゃべるのは非常に難しいと思うので、もしご質問などありましたら、ブログのコメント欄やトラックバックや、2ちゃんねる東浩紀スレッドに書いていただければ、出来る限りお答えしたいと思います。
それから、下のエントリで雑賀さんが書いている『チョコ・てろ』2号ですが、かなり前向きに考えています。
確かに今回の文学フリマで、売り上げに関するちょっとした伝説?は作られたかもしれません。しかし、伝説はそこで終わりではありません。そのあとに続く日常の方が長いのです。
東さんが、批評界隈で同人誌の力が無視できない大きなものになっている、ということを繰り返しおっしゃっていますが、それがたった一号出しただけの「伝説」などではないことは明らかです。だからこそ、私たちは、ゼロアカ道場という場で出会うことのできた幸運を、今後に生かしていかなければならないと考えています。
今後ともごひいきいただければ幸いです。
あと、個人的なゼロアカと文フリと今回の同人誌に関する感想などは、ここに書く訳にはいかないので(笑)、近いうちに個人ブログのほうに書こうと思います。裏話とか気になる人はそちらもどうぞ。
追記
そうだそうだ、文フリ当日にいらっしゃった東さんの娘さんのしおね嬢と、筑井雑賀の奇跡のスリーショットを撮っていただいた講談社のスタッフさん(またはカメラマンさん!)、どうかどうか私ちくいまでその写真をいただけませんでしょうか? 一生の家宝にいたします故に。