ゼロアカと、はじあずと、ショッピングモール

 2泊3日でベトナムホーチミンに行ってきた。空港を降りた瞬間から感じるうだるような暑さと、湿度と温度の抑制されたホテル内とのギャップ。南国の饐えた匂いと整えられた無菌の場所。それらがたった歩いて数分で、交互に隣り合っている都市。ベトナム第二の都市、ホーチミン

 わたしはその清潔な場所だけを過ごして回った。それ以外のところでは貴重品を握りしめ、なるべく早足で通り過ぎて行った。それは主にわたしの身体的事情によるもので(行きたいと思ったときにすぐにきれいで清潔なトイレに行けないようなところには絶対に行きたくなかった)、現地のひとたちの食事やら怪しげな外国人街やらジャングルクルーズやらに繰り出して行った同僚たちを尻目に、わたしはひとりでラグジュアリーで快適な空間だけに身を置いていた。

 最初それは、ホテルだった。観光客向け、外国人向けの(それなりに)高級なホテル。ホーチミン観光と称して、地図を頼りに次はこのホテル、次はこのホテル、間にあるちょっとした名所っぽいところをちらと見て、また次のホテル。疲れたところでラウンジに入ってお茶やら食事でもしようと思いながらわたしはひとりホーチミン市内をさまよった。
 そして、ホテル以外にも、湿度と温度の抑制された快適な場所があることに気がついた。それがショッピングモール。VINCOM CENTERと名付けられたその場所には、オープン一周年記念と書かれていた。入ったことに理由は無かった。単に暑かったからだ。外が一番暑くなる時間、わたしは暑気を逃れるために「アルマーニ・カフェ」でトロピカルなアルコールを頼んで、そしていろいろなことを考えた。

 わたしは東南アジアのひとたちの顔を見分けるすべを持たない。中国と韓国だって怪しいものだ。だから確実なことは言えない。だけど、そのショッピングモールに来ていた人たちは、おそらく、ホーチミンに暮らすひとたちではない。ガイドブックだよりの現地の相場からすれば桁がふたつみっつは違う。(日本よりは当然安い……わたしの頼んだマンゴーカクテルは日本円で約500円)。だから、ここに来ている人たちの多くは観光客だ。しかもある程度、ある程度豊かな国のひと、あるいは豊かな暮らしをしているひとたち。路上で眠らず、路上で食事をせず、快適な空間だけを(選びたければ)選べるひとたちだ。
 それをおそらくアッパー・ミドルというのだろうか。VINCOM CENTERに入っていたのはDior、GUCCI、EMPORIO ARMANI えとせとらえとせとら。ここは新宿高島屋ですか? そのとなりにあった別のショッピングモールは、もう新宿京王プラザ1Fと寸分たがわぬなにか。化粧品メーカーと、高級ブティックと、おまけにappleストアまであった。市場でわたしにひっきりなしに声をかけてきた地元のおねえちゃんたちは、決してここにはこないだろう。

 わたしはその前夜、ホテルで「思想地図β」を読んでいた。冒頭の紀行文だけ読んでほったらかしにしていて、ベトナムに行くならちょうどいいんじゃね?と思い立って持って行ったのだ。そしてそれは、あらゆる意味で正解だった。


 ショッピングという記号、消費活動によって均質化されてゆく世界。それは、アッパーミドルクラス以上のものだということを、わたしは理解した。
 そして、思想なんてものを好き好んで読むような連中はどこまで行ったってアッパーミドルなやつらで、そいつらにむけて「世界はこーゆーふうに変わってるんだよ!」って声高に主張することは、政治的にとても正しい。だって読むのはそういう人たちで、そういうひとたちがうんうんって、うなずけるように「思想」なんてものは出来ているんだから。
 ほとんどホテルから一歩も出ず、朝から豪勢なブッフェを食べ、ホテル内のジムで汗を流し、出たとしてもホーチミンにある数少ない快適な空間だけを選んでいたわたしが、読むべき本であったのだ。

 ***

 ところで話はすこし変わる。

 先日、とある事情でゼロアカ関係者たちとはじあずの人たちがまとまって(15人以上!)で飲むというとても愉快なヒャッハー飲み会があった。
 ゼロアカ道場というのは、いうまでもなく2008年に東浩紀講談社が開催した次世代批評家養成プログラムで……それがその後どうなっているのかはわたしに聞かないでね。わたしだって知らないんだから(笑)。一方のはじあずというのは「はじめてのあずまん」の略。「初めて東浩紀を読む人に」というコンセプトの同人誌を計画中の若い東浩紀読者たち。
 つまり、だいたい3年くらいのスパンを挟んだ東浩紀のコア読者がたまたま、半分は意図的に集まるというなんとも不思議な飲み会だったのだ。年齢のボリュームゾーンもちょうど3年くらいずれる。ゼロアカ時代学生だったひとの何割かは、企業に就職しいっちょまえの社会人になっていた(もちろんそうじゃない人もたくさんいるけどね!)。はじあずはまだ学生さん、あるいは今年就職したばかり、というくらい。全員がそうだというわけではないが、主としてそのグループを牽引するのはそういう年齢のひとたちた。

 そしてわたしは驚いた。いろんなことに。

 ひとつは、かつてのわたしの友人たちが、コンテクチュアズ友の会会員はおろか、そもそも思想地図βすら買っていないということに。むしろ彼らにとっては、わたしがいまだに東浩紀のまわりをウロウロしていることの方がよほど奇異に映ったのかもしれない。(そもそもゼロアカ道場第五次関門まで進んだ筑井真奈が、そうかん!イベントで登場した放課後たいむらいんのギタリストであったことを知っている人はどれくらいいるんだろう?)ちなみに、わたしがバンドに巻き込まれることになった諸悪の根源はid:noir_kという男にあって、彼について言いたいことはもう湯水のようにあるのだが、今はそのことについて話す場ではないので割愛する。
 でもひとつ確かなことは、東浩紀に彼らはもうあんまり、あんまり関心がないということだ。彼を中心とする磁場が生んだあるお祭り空間に一時身を置き、そして去って行った。それは、将来に不安を抱えるある種のおとこのこたちがかかるはしかのようなもので、ある一定期間が過ぎると、かなり具体的には社会に出ると、自然と治っていくなにかなのかもしれない。

 そしてもうひとつ驚いたこと。それは、東浩紀の読者層の……「クラス」が下がっているということ。

 ゼロアカ道場に参加し、かなり後期まで残った人たち、その周囲にいたひとたちのほとんどは、東大早稲田を筆頭に、なんだかんだ言って高学歴のひとばかりだった、、ということは知っている人は多いと思うが、それに加え、「文化的資本のあらかじめ高いひとたち」、ありていに言えば親の年収や社会的地位の高い人たちばかりだったということはあまり知られていないと思う。というか普通はそこまで知りようが無い(もちろんそうじゃない人もいます、わたしも彼らと個人的な交遊をするようになってから知った場合も多い)。
 そんな彼らの「はじあず」は、「俺は高校生のときから『存在論的、郵便的』読んでたぜ(キリッ)」、そして「動物化するポストモダン」。フランス思想とオタクカルチャーの結節点にある種の洗礼を受けたひとたちだった。東浩紀を好んで読むようなひとは、そのころ、みんなそういう人だった。アッパーもアッパーのドアッパーなひとたちだったのだ。東浩紀なんかに寄ってくるようなひとというのは、みんなそんなもんだと思ってたし、だからこそ妙な連帯感があった。いや、むしろ育った社会階層が近いからこそ自然と惹かれあったというほうが正しいのかもしれない。

 あれから3年経って、東浩紀の仕事はだいぶ変わった。

 最近若い東浩紀の読者に会うたびに、わたしは彼らにどこから東浩紀に入ったのか、と聞くことにしている。「一般意志2.0」というひと、「東京から考える」というひと、「フラクタル」というひと、「朝日論壇時評」というひと。「なんかいつもtwitterで愉快なのみかいやってるひと(!)」。ヒアリングの結果気づいたことは、それはもう、豊かな家庭で育った、学歴の高い、それでもなんか生きづらい、人文屋たちではないということなのだ。
 誤解のないように言っておくが、それでもやはり「学歴の高い」子たちは多い。少なくともはじあず代表の斉藤大地は早稲田卒だし、大学教授の息子だっている。けれど、そうじゃない層が一定数入り込んで来ていることは間違いない。わたしは彼らを馬鹿だと言うつもりは全くない、一緒に飲んでみれば賢い子たちだ。けれど、かつて東浩紀の読者に出会うときに感じたある気安さはもう、失われてしまったのだと思った。あの頃、知り合った人に大学どこですかなんて聞かなかった。だってだいたいトーダイか早稲田か慶応かそのへんで、誰の友達かと聞けばそれで済んだから。「誰も知らないFランです」なんていう答えを聞くことなんて、あり得なかったから!

 いつからか、『クォンタム・ファミリーズ』からか、切断面を見つけることは出来ないけれど、東浩紀の仕事はあるときから批評から創作へと移った。そしてそのことによって、東浩紀が好きだということが、ドアッパークラスのひとたちの知的遊戯ではなくなってしまったのだ。
 わたしはそのことを否定も肯定もしない。だって、東浩紀自身の仕事が変わったのだから。そりゃ読者層だって変わる。彼自身だって、そういう恵まれているのによじれた自意識を抱えた高学歴オタクどもの相手をするのにすくなからずうんざりしていたことだってあるのだろうから。

 ***

 こうしてやっとはじめの話に戻る。
 思想地図βは、思想を愛することのできるアッパークラスの人たちにむけられた何かだ。決して路上で眠ることないひとたちのためのものだ。
 だが、今の彼に関心を持つのは、その“アッパークラス”じゃないひとたちじゃないのだろうか。
 それは、アッパーのドアッパーの上位1%から、上位10%に降りてきただけでつったってそれもアッパークラスじゃないのかという気もする。(すみません、わたしはWMARCH以下の大学ランキングはまったく分かりません。にっとーこません?おせんべい?←というレベルのアッパークラスから下の階層への無遠慮な視線)

 わたしと親しくなるような東浩紀読者たちが、相当(上の方に)偏っているだろうことは否定できない。だけど、ゼロアカもはじあずも、東浩紀が好きで興味を持っている人ならば名前を聞いたことくらいはあるはずで、はてなtwitterを中心に(ゼロアカの頃はまだtwitterなんて無かった。←誇張です。もちろんありましたが今のようにインフラの一部を担うようにはなってなかった)なにか勢いのある集団であった/あるとは思う。ひとことで言えば目立つ。その目立つは若さ故のエネルギーかもしれない。サイレント・マジョリティたちは密やかに東浩紀と思想地図βを支持しているのかもしれない。だけど、若さ故のエネルギーが生み出したあるパワーが、多くの「新規読者」を、若いあずまんファンたちを生み出し続けていることは絶対に間違いが無い(……と、信じたい)。そんなコア読者たちを、わたしはそのかなり近いところで、ずっと見続けてきているのだ。


 わたしが分からないのは、思想地図βが狙っているのは明らかにアッパークラスのひとたちなのに、どうして東浩紀の仕事はアッパークラスじゃないところに向けられているのだろう。twitterで、フラクタルで、朝生で東浩紀に入ってきたひとたちは「思想地図β」を“わたしの物語”として読めるのだろうか。交通と誤配の可能性? そんなものはどこにだってあるよ。日本人はなんだかんだいってみんなミドルアッパーだから? それ、ホント?

 でもでも、そういう多様な需要層が、東浩紀という固有名を媒介につながってるのって、すげえじゃん。面白いじゃん。うん、わたしもそう思う。だから、わたしの感情は、かつてあった均質化された東浩紀読者層へのノスタルジーにすぎないのかもしれない。

 ***

 最後に。わたしを駆り立て、ホーチミン発成田行きの深夜四時の飛行機内でわたしにこれだけの長文を書かねばならないという欲望と義務感を喚起させたものが、やはり東浩紀であったということが、東浩紀でしかなかったということが、わたしは本当に、本当に心の底から悔しい。