批評が能動化する

雑賀です。
日曜のustでもたくさんの人が遊びに来てくださり、本当にありがとうございました。第2回にもかかわらず、マイクに音がうまく入っていなかったり、途中で思いっきりお茶を飲んでたりしましたが、とにもかくにも空間を共有してくださった方がたくさんいたことに感謝です。ネクタイはまた日を改めて、きちんと披露する予定です。ちなみに日曜はピンクネクタイでした。たぶん画面から切れてましたけど。
IRCも横目にちらちらと頑張って見ていたのですが、ちゃんと反応し切れなくて残念です。IRCを見つつ、話も進行させる……、いつかそんな余裕ができるようになるとよいですね。精進していきたいと思っています。


IRCを読んでいて思ったことは、批評界隈が能動化している、ということです。以前の批評であれば、天才と位置づけられるような批評家が読者に対して天啓のごとき思想を展開する、それが一連のスタイルであったのではないでしょうか。しかし、今はそれだけで読者は満足しない。天才とはいえないけれど、感度が高く実行力のある人間が、読者の希望を取り込みながら自らの思想を展開するというスタイルに変わりつつある、そんな気がするのです。それがいわゆる批評家のキャラ化なのかもしれないし、祭りの正体であるということもできるでしょう。
ただ言えることは、読者はすでに一見受け手でありながらもはや受動的ではなく、能動的であるということ。かつて批評家が読者を操っていたという形は古くなり、読者が批評家を操るような時代が訪れつつあるというのかもしれません。
でも、私自身はこれが悪いことには思えなくて、むしろ、予想もつかない化学反応が起こるような気がして仕様がないのです。私は、その先が見てみたい。というわけで、ゼロアカの関門としてはこのブログは役目を終えたわけですが、あいにくブログを持っていない私は、これからもちょこちょこここに現れる予定です。たまには本気で固い批評を書くのもいいかと思っています。

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では最後に、『チョコてろ』に関して一言だけ。
筑井さんも仰っていた通り、ガチで批評と呼ぶにはこの本は弱いのかもしれません。でも、何もないとは言われたくない。軽くはあっても、薄くはないはずです。一読してお腹いっぱいになるようなものを私は書きませんし、書く気もありません。できることなら二度、三度。そして、あなたの批判で甘い「てろる」は完成する。一冊を送り出すというだけで、終了などはしないのです。
もしまだ付き合って下さる気があるのなら、『チョコてろ』にちりばめられた批評の欠片を、これからもここはてなで、まだまだ続くゼロアカで、そして着々と計画が進行している『チョコてろ2号』で拾い集めていって欲しいのです。これは私のわがままです。吐露するならば、力不足。一冊で全てを伝えきれなかった、筆力のなさを呪うべきなのは承知です。
だけど、アフターケアなら万全です。呆れ果てるまで展開し続けていく所存です。続いていく意志のないものに、価値を見出すことは不可能です。


そんなこんなで文学フリマを終えて二週間。狂乱を終え、日常に物足りなさを感じてしまっているあなたへ。

良くも悪くも「お祭り」はまだ、終わりません。