批評というツール

一個下のエントリで雑賀さんが書いてくれていますが、12月1日付の日本経済新聞の夕刊に文学フリマの記事が載りました。どなたかが写真に撮ってくれていたので、リンクを貼っておきます。
こちら

左側の縦長の写真の、左から筑井・雑賀・井上ざもすきさん・藤田直哉さん・三ツ野陽介さんになっています。
ネット上に記事がないか探してみたのですが見つけられなかった……。

この記事を見て、私たちが思っている以上にゼロアカ道場は世間の注目を集めているようで、驚くと同時に、生半可な気持ちでやってはいけないのだ、という思いを新たにしました。
とりあえず、形而上学女郎館ustは、月1くらいのペースでやっていきたいと思っています。
雑賀と筑井に聞いてみたいことなどありましたら、メールやコメントなどいただければお答えしていこうと思います。


……
ところで、形而上学女郎館のustはラジオっぽい、と指摘してくださったかたがいらっしゃいましたが、それはそのはずで、過去のどっかのエントリで書いたような気もしますが、筑井は3年間ぐらい、とあるラジオ局でラジオDJの仕事をしていたことがあるのです。
構成やら流れの作り方がラジオっぽいのは、ラジオDJ時代に培ったテクニックなのです。


ちょっとだけ昔話をすると、中学・高校時代のわたしの将来の夢は「ラジオパーソナリティ」になることでした。オールナイトニッポンと、伊集院と、渋谷陽一と、山添まりと、伊藤政則が大好きでした(うわあ、お国が知れてしまう)。私にとってのラジオは、居心地はいいけれども均質化された進学女子校空間から、根拠のない紐帯と服従を要求する家族から、ほんの少しだけ外に出られるような、そんな気持ちにさせてくれるものでした。私の大好きだったラジオDJさんたちは、まいにち毎日、私の知らない新しい広い世界を教えてくれて、世の中の様々な事象に対してちょっと違ったものの見方や、常識をちょっとずらす方法を提示してくれた。そして、もしかしたら、「これはあたしにもできるんじゃないか!?」と夢を与えてくれたものだったのです。

しかしその後大学に入り、私はわたしの思いを伝えるために、より有効な手段である「人文科学」を手に入れました。「人文科学」というツールをつかうと、私はわたしの抱いていた違和感や絶望を、ほんのすこしでも言葉に載せやすくなりました。そしてそれは、しゃべることよりもずっと、私に向いていたみたいです。

私がラジオDJになるという夢をすっかりどうでもいいものにしてしまったのは、たぶんそんな理由なんだと思います。久しぶりにustでラジオみたいなことをやると、なんだか血が騒ぐけど、でも、今の私にとってのラジオはその程度のものです。

ひとつの夢を失った代わりに、私は言葉を、批評を、手に入れたのです。


私にとっての批評が、私が生きる武器になるのかどうか、今のわたしにはまだよく分からない。けれども、私にはこれがなくちゃいけないと思っていて、無いと死にそうになって、あるとそれだけで生きてて良かったと思えて、とにかく愛していて、それだけは、譲れない。
批評とは、世の中にあるさまざまな事象を、何らかの言葉に載せることによって少しでも見通しをよくすることだと私は考えています。それは、言葉にしてしまえばなんてことのないものでも、言葉に載せる難しさを知っているからこそ、私はその力を信じられるのです。
批評は人をくさすためでも、業界をつぶすためでも、誰かに好かれるためにも嫌われるためにもやるものじゃなくて、世の中の現象の見通しを良くする。ただ、それだけなのだと思います。その意味で、ラジオDJとは全然違うやり方になってしまったけれども、私のやりたいことはあの頃から、実はちっとも変わっていないのかもしれません。