本は見た目が9割

雑賀です。
今年も毎年の例に漏れず、某出版社のパンダに踊らされています。いつだって思うことですが、パンダの白黒は反則です。あの、計算されつくしたように見えてなぜか尻尾だけ白いところとか、意外と素敵に凶暴な目をしているところとか、人をなめているとしか言いようがありません。モノトーンといえば、シャチも秀逸ですね。口を開けると牙はかなり鋭い肉食獣。さすがは海の王者シャチです。かわいいくせに獰猛、というのは私の琴線に触れるようで、見るたびいつも悶絶してしまいます。

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本を買うときの基本として、通常私は作者買いなのですが、この夏は久しぶりにジャケ買いをしてしまいました。中原中也『汚れちまつた悲しみに……』装画・浅野弘幸。べ、べつに集英社の策略にのせられてるわけじゃないんだからねっ。読みたくて買ってるんだからねっ。
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はい。わかってます、ちゃんと。それなりに大人ですから。もう何も言わないでください。好きなんです。ああいった、「行く先が絶望しか待っていないのはわかっているけれど、それでも僕は行くよ」的な表紙が。悪あがきをしたいのに、できないゆえの悟った感じとか、もう戻る場所のない旅人とか。完璧好みだったんです。色合いもいい。
そういう意味でも、表紙って偉大。いい内容には、いい装丁は付き物なのです。ごくたまに、内容と全く合っていない表紙もありますけどね。ふぎゃー! って気になりますけどね。一目惚れして、性格が最悪だったときみたいです。本を恋人に例えるとすれば、本は外見も性格も大切なのです。なんかもう、わがままですいませんって気になってきましたが、たぶんこれは本が好きな人なら誰でもきっと思うはず。……ですよね?


だけど、久しぶりに中原中也など読んで思うこと。どうやって世界を見れば、ああいう言葉が浮かんでくるんだよ! と。生きていたら、襟元掴んで問い詰めてみたい。そんな気分にさせられます。完璧なリズム、選び抜かれた言葉の数々。鋭いナイフのように言葉を操る詩人という存在は、私が何かを書く上での常なる羨望の対象です。
おそらく私は、十年位前にも中原中也に目を通しているはずなんですが、あの時は何も感じなかった。というよりむしろ、理解できなかった。学生の頃、読書感想文が苦手だったはずです。そういう意味では、成長したのかもしれませんし、気付かないうちに何かを失ってしまった、ということなのかもしれませんね。